ハーシェル(ウィリアム)
Sir Frederic William Herschel
 生 : 1738年11月15日 ドイツのハノーバー
 没 : 1822年8月25日 イギリス バッキンガム州スロー
 ドイツ生まれ、イギリスの天文学者。

 天王星の発見、銀河系モデルの提唱、太陽系運動の発見など、たくさんの発見、研究を行なった。  当時イギリスの勢力範囲であったハノーバーの音楽隊員の息子として生まれる。 彼も音楽的才能に恵まれ、ハノーバー陸軍でオーボエ奏者になったが、7年戦争によりハノーバー軍が敗れると、イギリスに亡命、オルガン奏者として有名になった。
 彼は天文に興味を持つアマチュア天文家であったが、望遠鏡を買う余裕がなかったため、妹のカロリーネと協力し、当時最大で最高の望遠鏡を作り上げた。 たくさんのものの全体を把握するには統計学が有効であるが、彼はこの望遠鏡を使い、赤径と赤緯で区切った一定面積の星の数を全天にわたり数える、という、統計学的な観測を初めて行なった。
 しばらくはオルガンコンサートの後に天体観測をする、アマチュア天文家生活が続いたが、1781年、天王星の発見によりそれも終わり、ジョージ3世の庇護の下、天文研究に専念できるようになった。 1785年、「天界の構造について」で、恒星の明るさは距離に比例する、という仮定のもと、全天の618区域の恒星データから、恒星は薄い円盤状に分布し、その中に太陽系があれば、空を一周する光帯(天の川)に見えるだろう、と、銀河恒星系を提唱した。
 また、ハレーにより発見されていた恒星の固有運動について、たくさんの恒星が固有運動するのなら、太陽も運動しているはずだ、と考え、恒星の固有運動は、その星本来のそれと太陽のそれが含まれる相対的なものであり、恒星の固有運動を調べれば、太陽の宇宙空間の運動が分かるだろう、と論じた。 ハーシェルの推定した太陽の移動方向は、現在の観測と驚くほど一致している。
 全天の恒星観測から、800個以上の連星、2500個以上の星雲星団も発見した。 当時、接近した2つの星は偶然近くに見えているもの、と考えられていたが、それらの運動の観測から、実際に互いの周りを回る連星があることを発見した。 連星の動きもニュートンの引力の法則に従っており、それが真に万有であることを証明することになった。 2500個以上の星雲星団の表は、息子で、やはり天文学者であったJ.ハーシェルによって南天まで広げられ、5079個の星雲星団表(GC(A General Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars))として発表された。 これは、1888年にドライヤーによって改定増補され、NGC(New General Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars)として、現在も使用されている。
 1816年、騎士の称号を受け、名声を欲しいままに天寿をまっとうし、84歳の生涯を閉じた。

 息子のジョン・ハーシェル(1792-1871)も有名な天文学者であり、やはり騎士の称号を受けている。 妹のカロリーネ・ハーシェル(1750-1848)は、ウィリアム、ジョンの研究をサポートしながら、自身も生涯で彗星を8個見つけた、初めての著名な女性天文学者であった。
データ出典: 科学技術人名事典:アイザックアシモフ