ニュートン
Sir Isaac Newton
 生 : 1642年12月25日 リンカーン州のウールスソープ
 没 : 1727年3月20日 ロンドン
 ニュートンは早産で生まれ、その時には父は亡く、3歳で母親が再婚したため祖父母に引き取られるという、親に恵まれない子供であった。 学校では変わった子供とされ、授業内容にも遅れがちであったという。しかし、なににでも興味を持ち、自分で考案した機械を作るのが好きだったらしい。
 叔父の強いすすめで1661年ケンブリッジ大学に入学、1665年に卒業後、ロンドンでペストが大流行し、母の農場にもどる。 ここで2年間をすごすが、その間に、微積分、光学、万有引力の法則といった発想を得たといわれる。 ニュートン自身、後の回想で「これらの日々、私は生涯の想像力の頂点にあり、後年のいずれの時よりも数学と哲学にうちこんでいた」と言っている。
 1684年、ケプラーの法則を説明できる理論に賞金が懸かり、ハレーもその研究をしていた。 距離の2乗に反比例する力が働いているからだろう、とまでは分かっていたが、それを証明する手段がなかった。 ハレーのその質問にニュートンは、「楕円軌道を描く」と答えた。農場での2年間に、その事についても計算していたという。 微積分によって、連続した運動を数学的に記述することができ、それによってケプラーの法則が証明されたのである。
 1686年、「自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)」が出版され、ガリレオ力学を含むニュートン力学が成立した。 コペルニクスに始まる科学革命が頂点に達したことを示し、ギリシャ科学の敗北を意味した。 プリンキピアに描かれる宇宙体系は、それまでに考えられたどの体系よりも簡単な数少ない仮定のもとにたち、はっきりした数学的手法で展開した。 どんな保守的な人々も反論することができないものであった。

 1689年に下院議員、1696年に造幣局長官、1703年に王立協会会長、1705年には騎士の称号を戴いた。 中世でニュートンほど、生存中に尊敬された科学者はいない。科学史の中でも、他にはアルキメデス、アインシュタインくらいのものであろう。
データ出典: 科学技術人名事典:アイザックアシモフ