ハレー
Edmund Halley
 生 : 1656年11月8日 ロンドン郊外のハッガーストン
 没 : 1742年1月14日 グリニッジ
 イギリスの天文学者。ハレー彗星で有名。

 早くから天文学に興味を持ち、フラムスチード、ニュートンなどと親交があり、学生時代から彼らの仕事を助けた。 オックスフォード大学在学中に、南半球のセントヘレナ島に行き、フラムスチードの北天観測に対応する南天の恒星300個余りの位置を観測、また、水星の太陽面通過を観測した。 ニュートンには、財政的精神的に助け、「プリンキピア」の出版をうながした。
 ニュートンの引力の法則を使うと、惑星や月の運動はうまく説明できたが、いつ来るか分からず、空のどこにでも現れる彗星の運動の説明は難しそうに思えた。 ハレーは、ヘヴェリウスを訪ねた時にその運動に興味を持ったとされているが、ニュートンの助けをかり、多くの彗星の記録を調べ、その軌道を計算していった。
 特に、1456年、1531年、1607年、1682年に現れた彗星の軌道が非常に似ていることに気がつき、彼はこの彗星が同じものであり、細長い楕円軌道を描き太陽の周りを回っているのではないか、と考えた。 そして、1758年頃再び現れるだろう、と予言し、これが再現した時は、「それを予言したのは、1イギリス人であることを銘記せよ」と宣言している。
 この予言については、スウィフトが「ガリバー旅行記」で、「30年後にこの彗星が現れるとされているが、その時は地球は彗星のガスによって燃えつきてしまうだろう」、などと、予言を疑う人々に揶揄されたりもしたが、事実、1758年の暮れにその回帰が発見された。 これにより、彗星も太陽系の一員であり、科学的に不吉な星などではないことが証明された。また、ニュートンの引力の法則が正しいと思われる証明にもなった。
 また、ヒッパルコスやチコの観測した恒星の位置と、自分の観測した位置とのずれから、恒星も長い間に位置を変える、つまり、個々の星も固有の運動をしている、と結論した。

 1720年に、フラムスチードが亡くなると、グリニッジ天文台の台長に後任に任命された。 グリニッジ天文台のほとんどの設備は、フラムスチード個人のものであり、彼の死後、債権者や遺族がほとんど持ち去ってしまっていた。
 ハレーは設備をそろえなおし、その後20年間、月の観測に没頭した。
データ出典: 科学技術人名事典:アイザックアシモフ