ガリレオ・ガリレイ
Galileo Galilei
 生 : 1564年2月15日 ピサ
 没 : 1642年1月8日 (フローレンスの近くの)アルチェトリ
 ピサに生まれたガリレオは、同大学で医学を学んだ。数学者であった父が、数学者よりも医師のほうが生活が楽であることを知っていたからである。
 しかし、親の心子知らず、人類にとっては幸いなことに、幾何学の講義を受け、振り子の等時性を発見したガリレオは、科学と数学に身を投じてしまった。 経済的理由から大学をやめるが、家庭教師などで生計を立て、1589年にピサ大学の数学講師として就任した。
 そのころから議論好きで、歯に衣を着せぬ物言いで「議論屋」と呼ばれていたようである。 一つには、たくさんの弟妹を養うために経済的に苦労し、論敵には完膚なきまで攻撃する、という態度があったためらしい。

 ガリレオの発見は多岐に及ぶが、天文関係としては、1609年のガリレオ式望遠鏡の発明、それを使った翌年からの、木星の4大衛星、月のクレーター、金星の満ち欠け、太陽黒点、天の川はたくさんの星でできていること、などがあげられる。 木星の衛星の発見、金星の満ち欠けは地動説の直接的な証拠として、また、太陽黒点は、天界は完全で不変永久ではない証拠として、アリストテレスから続く当時の天文学に疑問を投げかけた。
 ガリレオはその議論好きから、たくさんの敵がいたが、地動説の証拠をたくさん挙げ、また、その挙げる態度が人々の反感を買い、ついに宗教裁判を受けることになる。裁判の後、「それでも地球は動いている」と言ったという伝説もあるが、さだかではない。

 実験的手法と数量的分析に基づく近代科学の研究法は、ガリレオが確立したものである。 ガリレオが研究した力学体系は、ニュートンによって完成されることになる。
データ出典: 科学技術人名事典:アイザックアシモフ